いつか鼓動が過去も未来も追い越すまで
いつか鼓動が過去も未来も追い越すまで
今の私の心情を表すのに、ニート・ニート・ニート主題歌の、キャリーオンのこの歌詞を借りたい。
いろんなことを思うけど、今では過去となった11月30日も、それ以前の不安な期間も、楽しい充実した期間も、次があるのかも分からないのに、きっとまた会えるだろうと期待をしているまだ見ぬ未来も、鼓動が追い越すまで、私は止まらずに進み続けたい。(歌詞そのままじゃねーか)
最近の出来事に対する自分自身の気持ちを爆ポエマーが自分の気持ちの整理のためにひっちゃかめっちゃかな文章で綴ります。
祭りが終わって、らぶに現場がなくなってから、らぶ担以外、Love-tuneの話題をあまりしなくなった。
Love-tuneから距離をおくオタクもちらほら出てきて、担降りしたオタクもいた。
それでも私は熱が冷めなくて、きっとLove-tuneはまたライブしてくれて、待っていれば会えるよねって期待していて信じていた。
Love-tuneが終わる日なんて来ないと思ってた。
待つのは中々辛いこともあったけど、絶対に挫けたくなくてたとえ周りがLove-tuneから離れていったとしても、私はずっと好き。
そう思いながら毎日、Love-tuneがまたライブをする時泣いちゃうだろうなあなんて想像しながら過ごした。
そうしていたら、まあこないだろうと思っていた、いや、願っていた、その日が来てしまった。
いつかはくると思っていた、まあそうなるよね
なんて多くのオタク達は言ってるから、私が今まで覚悟出来ていなかった、気づこうとしなかった、目を瞑っていたつけが一気にまわってきてしまったのかと思った。
11月30日。
その日は、仕事から帰ってソファで録画したけもなれを横目にツイッターを見ながら、サイゾーウーマンの不穏な記事を目にした。
私は不安と恐怖が拭いきれなかった。
そのまま、そんなことになったら嫌だなあなんて想像して涙を流しながらいつの間にか寝ていた。
そして1時間ほど経って目が覚めて、あーあのサイゾーの記事みんな読んだかなあと思ってツイッターを開けば、TLは私の想像を越えて、私の見たくない文字と、らぶ担の動揺溢れていた。
手を震わせながら、嘘だと思って、ジャニーズネットを開いた。
その文字を読んだ瞬間、気づいたら家族の目もはばからず、声を上げて泣いた。
めちゃくちゃ家族に心配されたけど、ジャニオタの姉が「Love-tuneに何かあった?」ってすぐ察してくれたけど、私は言葉にする気が起きなかった。(ごめん)
その時の感情と言えば、悲しみと悔しさのどん底で、嫌だ無くならないで辞めないで といったワードで頭がいっぱいだった。
覚悟が出来ていなかったら、こんな風に思っちゃったのかなあって今は考えられる。
それから日付が変わるまでの数時間はあっという間過ぎて、5人がジャニーズで無くなった実感なんて無かったし、正直今も無い。
少し時間がたてば、あの発表を見た瞬間よりも、いろんな感情が生まれた。
いろんな人のツイートをみて、前向きな明るい考えも浮かんだ。
でも1番占めていたのは、これからどうしたらいいんだろう、どうやって過ごしていけばいいんだろうという気持ちだった。
その日は寝るのが怖かった。
ちゃんと時間の経過を体感していたかった。
寝ている間に時間が経つのが怖かった。
朝起きて、いつもと変わらない日常に、あれ?夢だったっけ?って一瞬錯覚したけど、ツイッターを開けば、しっかり現実で、Love-tuneは無くて、でも私の時は11月30日で止まっていて、世界から取り残されているような気分だった。
もう見れなくなるならいっぱい見とこ~!という精神はあった。
レンチが、安井くんが、映った瞬間、もうジャニーズの安井くんは見れないの?と泣けてきた。
Callが流れた瞬間、映画館にも関わらず、小さく嗚咽が漏れた。
だんだん音が大きくなるCallがかき消してくれる安心感でCallに隠れて号泣した。
劇中のセリフはいちいち私の心に突き刺さった。
些細なセリフも全部繋げてしまう。
エンドロールでは(ジャニーズJr.)の文字からとてつもなく寂しさを感じて、涙が止まらなかった。
エンドロールが終わっても、オタクのすすり泣く声が沢山聞こえて、なんだかつられて自分も涙が溢れ出ちゃって、終わった後に思わずトイレに駆け込んだ。
その帰り道、駅から自宅まで歩いてる時に丁度らじらーが始まって、歩きながららじらーを聞いた。
安井くんの言葉でその場でしゃがみこんで、また、声を上げて泣いた。(ド田舎なので人が通りません)
言葉にしにくそうで、聞いたことない声色で、優しすぎる言葉で、いろんな感情で泣いた。
彼は、何年も、多感な10代20代の、いわゆる青春と呼ばれる時に、ジャニーズでいることを選んだのに、一瞬で終わるわけで。
そしてその姿を、私なんてほんの4年程だけど、少なくともその期間は見続けて、グループが出来てからの2年半は、まあここ半年程は苦い思いもしたけど、味わったことのないたくさん楽しくて嬉しくて全力の最高の時間を過ごしたわけで。
そんなの、寂しさ溢れて仕方ない。
私は、ジャニーズ事務所でしか叶えられない夢をLove-tuneに沢山見ていた。
これは完全にオタクのエゴだ。
私がみたかっただけだ。
“Love-tune”の単独東京ドーム公演をみたい
その東京ドーム公演でCALLを聞きたい
supermanを聞きたい
This is Love Songを聞きたい
ジャニーズのアイドルとして、CDデビューして欲しい
勝手に沢山の夢を見てきた。
その夢はもう二度と叶うことは無いと思うと、
やっぱり寂しいし悲しい。
でも、悲しんでも、寂しくなっても、いいんじゃないか。
だってこんなに好き、今も。これからも。
これから先もふと思い出して寂しいなあって思う日は何度も来ると思う。
それはそれで、その寂しさや悲しみを受け止めようと思う。
これから先、Love-tuneが無くなった事実が変わらない限り、この寂しさや悲しさは消えることは無い。
それでいいと思った。
でも“固執”はしない。
彼らの決断を否定するようなことはしたくない。
この寂しさや悲しさを背負ったまま、未来へ向かいたい。
未来でまた別の夢をみたい。
未来で、もしまた7人で活動するとなったら、ジャニーズにいたら叶わなかったことも沢山できるようになる。
叶わなかった夢を別のステージで別の夢でつないでくれるかなあなんて。
「それはそれ、これはこれ」で、感情を上書き保存せずに、別フォルダに保存することにした。(恋愛バイブルか?)
そういうふうに、悲しみに折り合いをつけることにした。
だから私はこれからもずっと悲しむだろう。
心に空いた穴と一生付き合っていくだろう。
そして同じくらい、この先には明るい未来があると、希望を胸にしている。
やっぱりなんか、他のJr担が楽しそうに次の現場の話をしていると、もうそこに入ることはできないんだなって寂しい。
今でも、誰かの、共に過ごした仲間の、暖かい言葉や、気持ちがリンクするような歌をきくと、涙は出てくる。
なんなら毎日泣いている。
でも発表された日や次の日に流したような、喪失感で絶望感で溢れた涙とは違う。
美化はしない。
でもLove-tuneって最後の最後までLove-tuneらしくて、それすらも愛おしくなる。
ニートの舞台挨拶で、安井くんがまた会いましょう!って言ってくれてるから、また会えると思う。
安井くんは今まで沢山有言実行してきてくれて、欲しい時に欲しい言葉をくれて、オタクの見たいものわかってくれていて、信頼が半端ないから、安井くんがまた会えるって言ったら、ああまた会えるんだよかったって不思議と思うんだよね。
もし、別の、次のステージにいくなら、また同じ夢見たいなあ。
また彼らなら別の夢を見させてくれるんじゃないかってワクワクすらしている。
辞めたら出来なくなることも沢山あるけど、辞めたからこそ出来ることも沢山ある!
彼らは次のステージに行くんだ!また絶対会おうな!って言ったし!
って思った瞬間にいやでも寂しいもんは寂し~~~!って急にくるのよね。
あと他のジャニーズのタレントが先輩後輩で仲良くしてる様子見ると、あ~~~もうそれもできないのか~!って。
最近、私の心の中では同時多発感情テロが毎日起きています。
多分これからもしばらく、相変わらずの情緒不安定具合で日々過ごしていく予定。
全部全部私の本心。
ただ彼らが決めたことを否定するような考えは、しない。
それを胸に今日もやさしさで溢れるようにを聞きながら、泣きます。前向きに。
早く、待ちくたびれたね始まりの夜明けってタイトルの(またキャリーオン)はてブ更新したいな。勝手にすると思うけど。
安井くんに対しての思いは3月31日頃にまた長ったらしいポエムを書くと思います。